祖母を見舞う
入院している祖母を見舞う。
大みそかで何処かさみしい病院の一室。
窓側のベッドで悄然としているおばあさんはやはりさみしく映った。
問いかける。
手を握る。
ここまで弱ったか。
改めて自分の冷たさに驚愕している。
離れて暮らしてきた必要があったのだろうか。
必然ではない選択をしてきたかもしれない自分に腹が立つ。
でも今年も大みそか。
許してください。
明日また参ります。
入院している祖母を見舞う。
大みそかで何処かさみしい病院の一室。
窓側のベッドで悄然としているおばあさんはやはりさみしく映った。
問いかける。
手を握る。
ここまで弱ったか。
改めて自分の冷たさに驚愕している。
離れて暮らしてきた必要があったのだろうか。
必然ではない選択をしてきたかもしれない自分に腹が立つ。
でも今年も大みそか。
許してください。
明日また参ります。
新装なったかま栄に買い出し。
そして新南樽市場へ。
どこもそうなのだが、客の目がきつい。
嫌な目つきのヒトが多い。
差別意識でも何でもない。
とにかくボクにとって嫌な印象の目つきのヒトばかりだということ。
世相のせいにするほど単純ではない。
隙あらば、みたいな目たちが歩いているのだ。
偸盗への警戒という感じでもない。
およそヒトの目とは思えない連中がうようよ彷徨している。
少し過敏だろうか。
少し被害意識が過ぎているのだろうか。
自分の目のことも観察すべきかもしれない。
開店して一週間と経っていないジュンク堂書店に立ち寄る。
印象。
書店としての品揃えには満足。
でも、なんだいあのキャッシャーの位置は・・・。
一階と四階にしか設置していないキャッシャー。
万引き対策をしている様子がありあり。
三階から一階までのエスカレーター移動の間中、監視に晒されているようで、非常に不愉快だった。
本選びには良い書店なのに。
多分、この先、駄目だな。
聖という字を最初の書いた日はたぶんクリスマスだった。
愛という字を最初に読んだ日もたぶんクリスマスだったに違いない。
クリスマスイブだから、そういうことにしておこう。
贖うものがあまりに多すぎる。
聖とか愛とか、まるでこの世から消滅していくみたいで、
心白むイブ。
メリー クリスマス
年末になると何かと気忙しい。
クリスマスだったり、ボーナス商戦だったり、ローン返済だったり … 。
年越し前のこのトレンドに乗っかっているとすぐに疲れてしまう。
まして、不況や経済不安の昨今だ。
この世相には徒労感はつきものかもしれないが、毎日の「へとへと」はいつになく辛い。
個人的な問題もたくさんあるけれど、今って時間はどうにかしている。
まさに「変」である。
へとへとなので、今日はすぐに床につくわけだ。
全国高校駅伝の中継を視聴。
7名で襷リレーしていくこの駅伝なのだが、
留学生選手は第一走者にはなれないのだという。
何か理不尽なルールだ。
日本陸連って、変なことを決めているな。
長距離ランナー界における保護政策みたいで、昨今の大相撲みたいな状況を許す前の予防線なのだろうか。
googleは便利だ。
休C日以外は毎日使っている。
このところブック検索を多用している。
プレビューで、急ぎの時は事足りることが多い。
せこい話だが、書籍代が節約できるので大助かりだ。
しかし、
このままで良いのだろうか。
ストリートビューがプライバシー侵害だとして問題化しているし、このままいけばブック検索も出版界に大きな影響をもたらすことになるだろう。
つまり、見かけ上 Free で成立しているということが前面にはだかって、誰かのことを苦しめている事実がすっかり隠れてしまう。
苦しめられている事実にさえ気づけない人も出てくるはずだ。
このあたりの善悪判断は大変難しい。
人間の営みの状況処理が高速化していくなかで、事物の本質が見えにくくなっているようだ。
目的にだどりつくことが早いのは大変助かりことであるが、これを「便利」と同義としてしまうのはどうなのだろう。
土曜の夜、この点を google にて検索してみようか。
味わうことなく、食事をしている。
実際、味わっている暇がない。
食事よりも優先度の高い所為があるかのように、気が急いて味覚を忘れている。
家人に注意されながら朝食をとって出勤する毎日。
年明けまでは改めたいものだ。
外食産業が振るわない。
小樽でも事情は同じ。
馴染みのレストランがスモークサーモンなどをネット販売している。
お店のことが気にかかる。
でも、足を運ぶ機会が少ない。
腕のあるシェフが小樽には大勢いる。
本来その恩恵を浴するべきなので、大いに堪能したいと思っている。
この年末、地元ながら通販のほうのお世話になります。
少しだけ。
本日は忘年会だった。
寿司屋通りも花園の飲み屋小路も閑散としていた。
淋しい限りだ。
12月だというのに。
一次会で帰還した奴の言うセリフではないが、
「地元に金を落としてあげたいね」。
ボクの場合、お土産の握りを家族分買って帰るだけくらい。
タクシーに乗って小銭のつりを遠慮するくらい。
こんなでは、所得の再分配機能には程遠いな。
いまは地元で金を積極的に使う時期だ。
惜しんだりしてはいけない。
金は使わないと腐る。
そのうち金にとどまらず、わが根性までも腐ってしまう。
お金を使おう。
ダイレクトメール。
封書はもちろん、PCのメールボックスはいつもいっぱいになってしまう。
厳選して買い物をしてきたはずだ。
お店を選び、品物のレベルを家計と見比べて・・・。
上の客と思ってせっせとメールを送信してくるお店や企業は本当に必死なのだね。
特定電子メールの送信の適正化等に関する法律。
この12月1日より、オプトアウト方式からオプトイン方式へ移行して、つまり自分のことは自分で守れっていうことになってしまった。
紛らわしさ、煩雑さにどうしてこんなに巻き込まれなければならないんだろう。
高度情報化社会とは、こんな面倒くさい社会のことだったのかい。
パソコン通信のあの頃へ、届かないだろうけど、ちょっとだけ問わず語りをメールしておきたい。
ソマリア沖の海賊のことがよく外電で配信されている。
海賊とは時代錯誤な語感を帯びて聞こえてくるけれど、その活動や被害の程度は平和な日本人の想像のはるか上をゆく。
事は周辺国の治安の問題にとどまらず、原油先物市場のレートにも反映し、私たちの生活にも影を落とすところとなっている。
実態を詳細に知ろうなどとは思わないけれど、そもそも海賊という生業で暮らしている連中が今も七つの海のどこかにいるという状況に思いを馳せることも必要だ。
このまま景気が最悪の底地に陥って、スリや強盗だらけになったら敵わないから。
そうなる前に考えておくわけだよ。
高速道路でおそらく何度も轢かれて横たわる犬。
そんな仲間を危険をかえりみず助け出そうとする犬。
この映像を見た。
映像を撮るほうに懸命になっている人間がいるということ。
インターネットにこの映像をアップしているという行為が許されていること。
とりわけこの映像を好奇のみで捉えている人間という私たちがいるということ。
傷つき続ける存在。
助けようとする存在。
無関心を貫く存在。
私たちの社会があの高速道路と同じ状況ではないということを祈るばかりだ。
映像で見なくとも、ヒトの想像力で解決していかなければならないことがたくさんある。
インターネットに頼っているようでは、ボクも相当に体たらくだな。
やっと納得のいく動きとなった。
それは何か。
画面展開がゆっくりなのをつくった。
進行していくプロセスが見える。
こんなテーストが大好きだ。
順を追って、次々と画面を映し出していくわがワークステーション。
馬鹿っ早のよくあるワークステーションは別に用意しているので、ゆっくり動いていてもストレスレス機をつくったわけだ。
この歳では、ボクのほうが機械について行けなくなっているから。
あなたの可能性のために
廃止が決まった独立行法人雇用・能力開発機構のウェブサイト上の謳い文句だ。
まるで「あなたの可能性が、廃止された」感だな。
弱者を生み出さないようにするために汗を流す組織・機関だったはずなのに、廃止で別団体が受け皿になるとは。
これはまったく官の体たらくとしか言えない。
あなたの可能性のために、とこれまで吐き続けてきたメッセージをそのままおかえししてやりたい。
非正規雇用ばかりを作り出してきた社会そのものにも同じくおかえししてやりたい。
…悪趣味かもしれないけれどね。
12月に入ると大晦日の紅白歌合戦の話題になる。
今年はデビュー3か月で出場を決めたグループがいる。
かつて岩崎宏美がデビューのその年に出場したことを「快挙」と呼んだそんな時代から30年余り。
安直な人選そのものが国民的行事「紅白歌合戦」の末路を予兆する出来事になっていくであろう。
紅白歌合戦もいまやプロ野球のナイター中継みたいなものになっている証拠だ。
結果だけが注目され、多分リアルタイムで付き合う人なんてだんだん減っていくわけだ。
大晦日に多くの国民が同じ番組を視聴している事実は変?だったものなのか。
だから近年の傾向は、正直これこそが健全という見方もできる。
がしかし、この国と国民性からしてこんな状況はとにかく危ういのだろう。
ボクはしらけながらもそう思うのだ。
大企業の大量解雇があたりまえに。
そんな記事ばかりを読まされる毎日は勤める先での事情とは裏腹に卑しい安堵感で心を満たしているかのごとくのこれまた卑しい己の心に喝を入れたい。
多分相当な給料泥棒であり軸の歪んだ歯車であり厄介者なのだろう。
そんなふうに思えて仕方がない。
ひとつ間違えたところで、自分のことも無性に無用に思えてくるわけであるな。
ブログに逃げる。
あるいは入り込んで閉じ籠る。
そんな芸当があたりまえにできてしまうわけだ。
もっと真剣に取り組まないと、人の営みは、本当に本当に儚くなってしまう気がする。
人が人と生きない世界。
あるブログに触れて、末恐ろしくなった夜。
みんなの音楽というTV番組を視聴した。
小林武史とSalyuと高島彩が出演していた。
Salyuのボーカルの素晴らしさはいまさら言うまでもない。
今回強く感じたのはプロデューサーと呼ばれることが多い小林武史のことだ。
彼は自分のことを「キーボード奏者」と語る。
確かに映画用につくられた楽曲は「キーボード奏者」のそれらしい。
詩情豊かで真面目なメロディー。
キーボードのリリックとでも言おうか。
その音色は詩篇に等しい。
Salyuのボーカル、小林のメロディー、当分この組み合わせは比類ないものであろう。
キーボード奏者 というプロフィールを語る限り、小林という人はたぶん大丈夫である。
Kという頭文字は不吉だからね。
ご近所に廃屋が二軒ある。
一軒は法人所有で買い手つかず、といったところ。
もう一軒は現在解体中。
その解体作業が手作業なのだ。
窓枠がなくなり、屋根のてっぺんがなくなって、…
明日はどこまでなくなっているのでしょうか。
おばあさんが長いこと一人暮らししていたそのお宅には小さい花壇と短い生垣があって、風情があったのに…、残念です。

受信料問題はどうなったのだろう。
公共放送とは。
放送法とは。
NHKとは。
誰のためのサービスなのか。
膨大なアーカイブをこんなことのためにつくってきたのか。
そんなふうに勘繰ってしまう。