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この国を知る(1)

梅原猛先生が亡くなった。
昨日の市原悦子さんの訃報に続いて何とも何とも寂しい。
私のなかでいまだ消化が済んでいない「昔話」をそっと伝え教えてくれた人たち。
「昔話」のイメージは市原さん常田さんの「まんが日本昔ばなし」にほぼ等しい。
いや、そのものだった。
「昔話」をイメージするときはいつもこのコンテンツに頼っていた。
長じて梅原先生の著作に触れ、映像以外の観念みたいなものが加わって人知れず豊穣なものになっていった。
「昔話」は楽しかったし、ときとして悲しかった。
(個人の心の投影に「昔話」がかかわることもある)
この国に生きた人々の人生が幾重にも積もり重なっていることに気がついて、幼心にも想像をたくましくし「昔話」を教訓として育ってきたのだと思う。
この過程は誰しもそう変わらないものだと信じている。
童心は「昔話」に共鳴するはずだ。

この国を知るということは「昔話」に接するのがその第一歩。
私の場合、この理屈にたどりついたときには二十歳をとうに越えていた。
ゆえに学ぶべきものの順番を誤ったのだ。
近年その順番を改めようと足掻いていることがある。
言ってみれば「昔話」を食べ直すということ、この国の歴史を復習することということだろうか。
過年、慌ててこんなことをしてみた。
第一日目、伊勢神宮。第二日目、四天王寺。第三日目、高野山。
この短期間に一気に巡る。
消化には悪い旅程だったが、このことが非常に嬉しかったし幼児のように軽やかに興奮していたと思う。
そのとき私は梅原著作の抜粋をプリントしたメモを携行し、時折カンニングしているみたいに確かめていた。
車窓からのぞむ遠くの空に何かしらのイメージを探しながら、電車の揺れもあって解けきっていない「昔話」が実は堪えていたのだと思う。

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