2023年12月
見ること・見ないこと
このところ楽しみなことは「大谷翔平」と「井上尚弥」くらいしかない。
囲碁・将棋のタイトル戦や競馬のG1レースへの熱はすっかり下がってしまっている。映画にも。
芝居やコンサートホールにも足が遠のいて、液晶パネルの中のライブ中継だけですっかり満足しているのだ。
さて、本日は待ちに待ったタパレス戦だ。
尚弥選手の芸術的なボクシングを今回も期待している。
ボクシングなのにボクシングではない競技に見えてしまうのだから魅了されてしまう。
<一時のことだからどうか許してください>
今夜はウクライナやガザの惨状を伝える映像から目を背けさせてもらおうと思っています。
もう耐えられない。(尚弥選手の左フックみたいなきつい現実)
液晶パネルさえ見なければ知らないことになるのだから。
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古新聞
昨日伯母に会いに行った際、昭和51年の古新聞を2ページほど見せてもらった。
サ高住への転居が決まり家の中をいろいろ整理しているうちに発見し、いつか私をビックリさせてやろうと居間の抽斗にしまってあったらしい。
灼けて茶色くなった紙面。
どちらにも私の書いた作文が掲載されていた。
たぶん、初見だ。
まったく記憶にない。
当時は新聞購読も電話加入もしていない家庭だったので、あとになって親戚から教えてもらうことが常だった。
「新聞に出てたよ」 …
あまり愉快なことではなかった。
コピー機もなかったし …
鉄筆で学級新聞の記事書いていたし …
そして何よりも書き上げたら最後自分の作文にはまったく関心はなかった。
こういうのを書いたら大人(特に役所の人)に好まれると意識して書いていた節があるからだ。
(この点の記憶だけはある)
賞をもらうと決まって高級なボールペンや万年筆が手に入るから、ただそれだけが目当てだったに違いない。
くだんの作文を読み終えた直後、ちょうど従兄夫妻が到着したので伯母には引き続き保管しておいてくださいと伝えて隠してもらった。
お互いにこり顔。
米寿で独居のご婦人は私のことをそれはそれは大切にしてきてくれた。
このように私の幼日を知る伯父・伯母・叔父が3人も今年逝ってしまった。
しくしくしてしまう。
さらに今朝先輩の訃報に接している。
いつまでもしくしくはいけないけれど、しくしくしてしまう。
合掌
想像しよう。
息子が遺品整理で最初に辟易するのはおそらく<お悔やみ欄>の切り抜きの始末なのだろう。
気の毒なことだ。
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パブリックDNSサービスで一考
= パブリックDNSサービス =
私は勝手に"PdnsS"あるいは"pDNSs"とメモなどで用います。
我が家のデバイス(機器)は備え付けのプロキシ経由でインターネットに繋ぐものと外部サーバー経由でインターネットに繋ぐものがあります。
よく使うラップトップはプロキシ経由。
この経路では 1.1.1.1(DNSリゾルバ)をメインにしています。
Googleの8.8.8.8を利用している人が多いかもしれませんが、「インターネット接続」や「ペアレンタルコントロール」について質問を受ける機会があるときは、1.1.1.1を(いまだに)推奨しています。
1.1.1.1にしておけばほぼほぼ間違いないと思い込んでいるからです。
しかしながら「検証」作業などではこの1.1.1.1が障る場面にしょっちゅう遭遇します。
例えば、Googleさんに"-remote-debugging-port=9222"で検索しても応答はありません。
しかし何故か"mac "を付け加えて"-remote-debugging-port=9222 mac"で検索すれば応答があります。
これって何なのか?詮索しないようにしています。(かつてはいろいろ邪推したものですが ...)
たぶん<都合が悪い>のだと。
そんな感じで1.1.1.1は<都合の悪いもの>に触れさせまいと日夜頑張ってくれています。
つまりインターネットがもたらす危難から四六時中私たちを守ってくれているというわけです。
ありがたい。
でも、待ってください。
これってこんなに強力なので危険な側面や事象も伴うということですよね。
<情報統制>に簡単に応用できるという点。
ダークウェブと呼ばれている<あっち側>のインターネット空間。云々 ...
これらのこともインターネットを利用する私たちは頭の片隅に入れておかなければなりませんよね。
(極少数の例外はあるものの)世界中のインターネット空間を利用できる私たちはいまのところ大丈夫ということで良いのでしょうか。
私たちの多くが知らない<都合の悪いもの>を遮断するための方法(壁)として1.1.1.1みたいなものに全幅の信頼を寄せていないと使えないインターネット。
本当に大丈夫ですかね。
とまあこの辺りに思考がうろつくとなかなか先に進めなくなってしまいます。
でも、たまには考えよう。そして思い過ごそう。
さてと、
ブラウズを再開しましょうか ...
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ナニヤドラヤ
つい先日、
岩手「黒石寺蘇民祭」来年2月を最後に1000年以上の歴史に幕
という記事がありました。
いろいろと物議を醸した「黒石寺蘇民祭」。
お祭りが苦手な私にとってもこのような「習俗的行事」としてとても長く続いてきた「祭」は別物です。
歴史の浅い土地に生まれ育った者のコンプレックスなのかもしれません。
でも憧れというのでもない。
自分や自分の周りの者たちには具備されていない言ってみれば"context"。
ここに引っかかりを覚えてしまう。
前述の"context"に関して「ナニヤドラヤ」という詩を画像ファイルで貼っておきました。
私はこの詩文の終いの「つないでもつないでもちぎれる輪である」に、大袈裟に言えばこの国の行く末を想うわけです。
時代時代で「輪」は変容しますが、果たして「輪」は「輪」として再生(輪廻)するのだろうかと。
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Now and Then
12月8日が近づいて来ました。
ジョン・レノンやビートルズの楽曲が聴きたくなる時候です。
いや、正確に言うとビートルズは「ちょくちょく」聴きたくなります。
聴かずにいられない状況に遭遇することが多々あるから。
嘘だとお思いでしょうが、ここに来てようやく新譜を聴きました。
聴かずにいられない状況に遭遇していなかったから。
理由がなければ「音楽」を聴かなくなった私は今
汚れつちまつた悲しみに
みたいな世のなかに住んでいるのでしょうね。
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